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木津川口の戦い(きづがわぐちのたたかい)は、豊臣家の江戸幕府に対する最後の抵抗を鎮圧するために行われた大坂の陣のうち、1614年(慶長19年)末に発生した大坂冬の陣において初めて行われた本格的な戦い。 豊臣方は、大坂城から海に至る要衝である木津川口に砦を築き、明石全登を守将に兵800で守備させていた。 11月18日、幕府軍の蜂須賀至鎮はこの地を偵察し、徳川家康に攻略の許可を求めた。家康は浅野長晟および池田忠雄と協力し、兵を損じないことを条件にそれを許可した。 蜂須賀至鎮は共同作戦では手柄を独り占めできないことに不満を抱き、11月19日未明、抜け駆けして単独攻撃を行った。当時、明石全登は大坂城に伺候しており不在だったため守備兵は統制が取れず、砦は陥落した。 遅れて(予定の時刻どおりに)進軍していた浅野長晟は蜂須賀勢の抜け駆けを知り、進路上の河川を急いで渡河しようとして多数の溺死者を出してしまい、戦闘にも間に合わなかった。 == 参考文献 == *『戦況図録 大坂の陣』(新人物往来社 別冊歴史読本56) *『激闘 大坂の陣』(学研 歴史群像シリーズ【戦国】セレクション) 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「木津川口の戦い (1614年)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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